あかびら人

タレント・構成作家 鈴井貴之さん

小さなまちの会社にこそ、 アイデアを活かせる チャンスがあるんじゃないかな
タレント・構成作家 鈴井貴之さん

平成27年、赤平市をロケ地にオンエアされたハートフルなコメディドラマ『不便な便利屋』。そのメガホンをとったのが、道産子には『水曜どうでしょう』の〝ミスター〟としておなじみの鈴井貴之さんです。今や全国区の著名人にも関わらず、赤平のまちにも活動拠点を構えているのだとか。鈴井さんの思いをうかがいに、とある森の中に佇むアトリエにお邪魔しました。

赤平の財政危機に、
自身のルーツを再確認

鈴井さんの出身地が赤平ということは広く知られた話。とはいえ、父の仕事が転勤の多い教師だったことから、このまちに住んでいたのは2歳までの短い間だったと切り出します。
「当然ながら当時の記憶はほとんどないし、もちろん友人ができるハズもなく。正直なところ、しばらくは生まれ故郷を強く意識したことはありませんでした。けれど、2008年頃に赤平の財政が苦しいというニュースを見た瞬間、なぜかいても立ってもいられなくなったんです」
父と母が暮らし、出会い、そして自分が生まれたまち。ルーツは間違いなくこの赤平にある。改めてそう認識した鈴井さんは、このまちのために何か役に立てることはないだろうかと考え始めます。そんなある日、赤平にゆかりのある一人として、赤平駅の裏手にある炭鉱跡地を活用するための協議会に参加させてもらうことになりました。
「協議会では、自分なりの意見や思いを精一杯伝えましたが、僕は会議が終わると札幌にとんぼ返り。頭の中で〝これじゃあヨソ者じゃないか〟という言葉が繰り返されて…。よし、だったら、ここで暮らしてみようって答えにたどり着きました」
赤平の「今」を知ってこそ、発言にも責任が伴うというもの。鈴井さんは役所の職員や地元の方々の力を借りながら、創作に取り組むための場所を探し始めました。

アトリエの吊り橋に佇む鈴井さん。「マチナカの飲食店に行ったら、 顔なじみから“おっ!山から降りてきたのか”なんて言われます(笑)」

際立ったものはないけれど、
すてきな笑顔が集うまち

鈴井さんがアトリエ建設に選んだロケーションは、木々が生い茂り、獣道すらない手つかずの森。まずやるべきことは、まさに〝開拓〟でした。
「すべてプロにお任せすればカンタンな話ですが、赤平の方に認めてもらうためにも可能な限り自分の力で森を切り開きたかったんです。草を刈ったり、チェーンソーで木を切り倒したり、重機に乗って土を掘り起こしたり、周りは〝鈴井はどこに向かってるんだ〟って思っていたかも(笑)」
今でこそにこやかに語るものの、鈴井さんはもともと大のアウトドア嫌いだったとか。テントで寝ることすら拒否するタイプだったようですが、「環境って人間を変えるものなんですね。今じゃ泥まみれになって暮らしています」と笑います。
一人で森を拓いていると、近隣の方が様子を見にきてくれることも多かったそう。時にはチェーンソーを目立てしてもらったり、重機のメンテナンス方法を教わったり。自力で森の開拓に取り組んでいる姿が胸を打ったからこそ、そんな温かいふれあいが生まれたのでしょう。
「僕が監督した『不便な便利屋』では、市民のみなさんも巻き込んで、1時間で作るスノーマンの数のギネス記録に挑戦したんです。今では子どもが〝ギネスのおじちゃん〟と言って駆け寄ってきてくれたり(笑)。赤平には際立ったものはないかもしれないけれど、すてきな笑顔がたくさん集まっているんですよ。何たって役所の職員さんからして財政危機で給与カットを余儀なくされても、ガハハと笑い飛ばしちゃうくらいポジティブ。会議でもツッコむのが面倒なくらい明るいですからね(笑)」

  • 森にとけ込むようなツリーハウス。 鈴井さんもできる限り建築作業に携わったとか。

  • ここ最近は重機を駆使して、 サッカーを楽しめるスペースを作ったそうです。

都会では当たり前すぎて、
気づけなかったこと

自然と格闘しながらアトリエがようやく形になったのは2011年頃。今では一年の8割ほどを過ごし、札幌で仕事があってもすぐに〝帰りたい〟と思うほど思い入れの強い場所になっています。
「森の生活は確かに不便。夜中に何かあっても、近くに24時間営業のスーパーや飲食店なんてありませんからね。でも、不便だからこそ欲しいモノは自分で頭をひねって代わりを作ったり、あるいは思い切ってガマンしたり。都会に住んでいたころよりも想像力や自活力が高まった気がします」
身近な〝不便〟と言えば鈴井さんのアトリエには上水道が引けないことから、沢の水をろ過してパイプによって近隣の数軒と共有しています。ところが、秋の枯れ葉や冬の大雪が障害物となって水の流れがせき止められることがよくあるのです。
「ある年なんて、正月に雪をかき分け、沢の水に浸かってビショビショになりながら土のうを作ったんですよ…自分でも何でメデタイ日に一人こんなことをやっているんだろうって(笑)。でも、蛇口をひねるだけで水が出ることが、どんなにありがたいか痛感しましたね」
都会では当たり前すぎて気づけなかった発見や〝反省〟に出会う赤平の日々。改めて自分の生活が多くの人や仕事の上に成り立っていることを思い知らされたと苦笑いします。

晴耕雨〝旭(きょく)〟の生活が、
ドラマや映画に活きる!?

赤平の暮らしは知識欲を刺激してくれると話す鈴井さん。土いじりを始めたことで植物の育て方やしくみを学び、アトリエに野鳥が遊びにきては巣箱を作って〝入居者〟を観察しています。 
「僕はアトリエを創作の場としても使っていますが、本当のところはかなりオフモード(笑)。晴れたら畑を耕し、雨が降ったら旭川に映画を観に行く晴耕雨〝旭〟の生活です。ただ、ココで身につけたことは、いずれドラマや映画に活きる時が来るはずだと」
鈴井さんは赤平の暮らしが想像力をふくらませ、工夫を生むように、小さなまちの会社には都市部の大企業では感じられない面白みがあると考えます。規模の大きくない組織では自ら考えて動かなければならない苦労もある分、アイデアがすぐに反映されやすく、成長度や手ごたえも大きいのではないかと言うのです。
「僕も29歳でオフィスキューを立ち上げた時は〝東京の大手じゃなければ芸能活動はムリ〟ってサンザン忠告を受けました。だけど、小さなアイデアを積み重ねることで『TEAM NACS』をはじめ全国に通じる俳優やタレントを送り出せましたし、大変な思いをしたからこそ結果が伴った際の喜びも格別です。若い人にも赤平のような小さなまちで自分の大きな可能性を試して欲しいですね」…と、ここでいたずらっぽく笑い、最後に一言。「今は働く場所を選ばないネットの時代。いっそ赤平で起業しちゃえ!」

タレント・構成作家 鈴井貴之さん

【2019年02月20日更新】